2013年02月11日

讃岐国府跡 発掘調査説明会

先月、運よく「讃岐国府跡発掘現場」にお邪魔させてもらったんやけど、
今日は、改めて説明会に行ったん^^


まずは、「香川県埋蔵文化財センター」まで歩いていったん。
讃岐国府跡 発掘調査説明会


綾川沿いになあ、がきれいに咲き始めよったよ(^○^)
讃岐国府跡 発掘調査説明会讃岐国府跡 発掘調査説明会


香川県埋蔵文化財センターの中の展示をみて、
発掘現場へー。


と、その前に、香川県埋蔵文化財センター敷地内に
復元されていた竪穴式住居があったよ。
讃岐国府跡 発掘調査説明会


発掘現場についたら、今日の資料とかくれたけん、
ちょっと読んみょったん。
讃岐国府跡 発掘調査説明会讃岐国府跡 発掘調査説明会


どんどん人が増えてきて、
説明会がスタートする頃には、人がいっぱいやった!!


この、「讃岐国府跡探索事業」は讃岐国府の位置と構造を明らかにするために
平成21年にボランティア調査員(讃岐国府ミステリーハンター)のみなさんらと
共にスタートし、「発掘調査」だけではなく、「地名調査」や「地形調査」などを行っているん。
国府とは、奈良時代頃、全国の国(今で言う県)ごとに置かれた役所で、
現在の都道府県庁のような施設のことらしいん。
北側からスタートし、様々な調査が行われてきたんやけど、
今回の説明は「国府跡」と考えられる建物跡と、その北側のの説明だったあ。
まず、塀の説明をしてくれたよ。
讃岐国府跡 発掘調査説明会讃岐国府跡 発掘調査説明会讃岐国府跡 発掘調査説明会
この塀は、溝と溝の間に、大きい柱穴列があるので、
瓦葺きの掘立柱塀(ほったてばしらべい)と推定されています。
大きな柱穴列があるということは、大きな柱が立っていたと考えられ、
それは柱の上に重いものが載っていたということを示すことから、
瓦葺きだったのではと考えられたようです。
実際、この跡の横の溝からは、多くの瓦が出土しています。
讃岐国府跡 発掘調査説明会
は、そもそも何かを四角く囲むためにあるものなので、
中に大事な建物などがあったと予想したらしい。
時代でいうと、奈良時代〜平安時代にかけてのものだと
考えられているそうです。
当時、一般的な建物には屋根がなく、またその屋根が瓦葺きといえば、
その中の建物は「寺院」もしくは「国府」といった
立派な建物であると考えられる。
さらに、沿いの溝は排水溝の役目を果たしていたと考えられ、
その塀の中では人が生活していたのだろう。
また、規模の大きさからも、讃岐国府跡だと推定された。
地形調査という観点から言うと、の西側の地質が少し黒くなっていて、
東側が少し黄色っぽくなっているそうです。
讃岐国府跡 発掘調査説明会
西側の少し黒くなっている土地は、開法寺池から続く、少し低い地形となっており、
東側の黄色っぽい土地との堺に掘立柱塀が建てられたと考えられる。
東側の黄色っぽい微高地(少し小高い土地)は、「開法寺塔跡」から北東にある
地元有志の方によって大正14年に建てられた「讃岐国庁跡碑」まで続いています。
続いて、塀の南側の建物跡の説明をしてくれました。
ここは、まだ政庁(国府の中でも中枢となる施設で、儀式や政務の場)とまでは
確定されておらず、これからさらなる調査が進められるそうです。
讃岐国府跡 発掘調査説明会讃岐国府跡 発掘調査説明会
発掘調査は、現在南北に進められていますが、
建物は、東西に長く建てられていると、考えられるため、
全容はまだ明らかにはなっていません。
讃岐国府跡 発掘調査説明会讃岐国府跡 発掘調査説明会
ただ、いくつか対と考えられる、柱穴も見られます。
讃岐国府跡 発掘調査説明会
本来、柱が立っている下には礎石という土台があり
その下に根石という石が埋められています。
ただ、建物跡と考えられる、発掘現場の一番南側に位置する
柱穴は、礎石と瓦の中間のような状態が発見されているそうです。
今後の調査も、目が離せませんね。
posted by まちぐる at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 取材日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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