2014年03月10日

引田城跡現地説明会

以前行こうとしたんやけど、たどり着けなかった引田城跡
現地説明会があるって知っていって来たよー。

引田城跡って、石垣があるってのは知ってたんやけど、
後はあんまり知らんかったん。

でもな、今回、話を聞いてびっくり(゜o゜)
なんとな、城郭があるお城やったらしいんや。

城郭いうんは、城と曲輪(くるわ)。
つまり、城とそれを囲む外囲いもあったっていうこと。

石垣があるっていうたら、香川では
丸亀城や高松城があるやん?

お城に石垣が使われ出したのは、
戦国時代以降らしんやけどな、
その丸亀城や高松城に先駆けて作られたお城らしいん。

前置きはこのぐらいにして、レポートしまーす♪

引田城跡はどこにあるかというと、
この地図みたら分かりやすいかな?
引田城跡現地説明会
東かがわ市引田の「田ノ浦キャンプ場」とかの近くなん。

まずは、ここに集合して、集まった人たちと
お城を見て回ったよ。

赤い矢印がある山、「城山」いうんやけど、ここにお城跡はあるん。
標高82メートルって、高い山とちゃうけん、余裕やろって
思ってたんやけど・・・・
引田城跡現地説明会

こーんな細い山道を歩いていくん。
引田城跡現地説明会

そして、たどり着いたのが、「大手門」の入口なんやって。
調査で2メートル掘ったら、大きな石がずらーっと並んでいたり、
【鯱瓦(しゃちがわら)】の破片もでてきたらしい。

鯱瓦っていうのは、城郭などの棟飾りに使われる
しゃちほこ形をした 瓦のことを言うんやけど、
そんな立派なものが使われるのにふさわしい、
お城の入口=大手門があったんだんだろうって推測されとるん。

引田城跡現地説明会

ここから見えるのが、「北二の丸、下段の高石垣」の石垣。
引田城跡現地説明会
立派ななーー
これは、野積みっていう積み方なんやって。
自然石をそのまま積み上げるやりかたで、もっとも古い技法らしい。

そこから、また山道を登ると見えてきた大きな石。
これは「北二の丸」に向けた大手の石垣なんやって。
これは、1.5〜2メートルぐらいもあるらしいん。
石の大きさで権威を見せつけるんw
ここには、「櫓門(やぐらもん)」があったって推定されとるんやって。
引田城跡現地説明会

そこを登ったらたどり着いたのが、今回2月から発掘調査が
行われてた「北二の丸」。

3箇所で調査がされてるのを見られたよ。

1615年に、一国一城令(いっこくいちじょうれい)いうんがでて、
一国に大名が居住あるいは政庁とする一つのお城を
残してその他の城はすべて廃城にするってもんなん。

だけん、この引田城も廃城にするのに、
建物を壊したりしたものが、土に交じってる瓦とかが
調査をするのに、掘り起こすとでてきてるらしいん。

まずは、1個目はこれ。
引田城跡現地説明会引田城跡現地説明会
ここからは、礎石(そせき)が2箇所確認できとるん。
礎石いうんは、建物を建てる下に引かれる石やけん、
これがあるってことは、ここに建物があったということが分かるんや。
ほんで、その礎石と礎石の距離は、ちょうど半間(90センチ)なんやって。

2個目。
ここにも御殿が建てられてたんじゃないかって言われてるん。
瓦もでてきとるけん、ここにも、瓦がある建物があったってことみたい。
引田城跡現地説明会
この矢印の黄色い土が、この土地の土なんやって。
廃城に伴って使った土らしいん。
引田城跡現地説明会

3個目。
引田城跡現地説明会
ここからも礎石が2個見つかってるんや。
ここからは、大きな瓦も出土してるん。
この建物についていた瓦違うか?ってことみたい。
引田城跡現地説明会

ちょっと崩れかかってるところもあるけど、
石垣〜
引田城跡現地説明会
そして、この写真の矢印のとこ、
2個ずつあった、礎石を結ぶ延長線上らしいんやけど。
ここにも何か建物があったんじゃないかって、推定されてるみたい。

実際、掘ってないみたいやけど、深く刺してみると
石にあたるんやって。
引田城跡現地説明会引田城跡現地説明会

とりあえず、ここで解散ってなって、時間がある人はもう少し周りましょうってことやったけん、行ってきた。

その後、行ったのが「東の丸」
本丸からは、ちょっと離れていて、「武器庫」だったと推定されとるん。
ここからは、こぶし大の石がたくさん出てきたらしんやけど、
火薬が湿気ないように、「武器庫」の下にはそういう石を
敷き詰めるみたい。

ここにも石垣あったーー
引田城跡現地説明会引田城跡現地説明会

まずは、「南二の丸の石垣」
石垣の上が展望台になっとるんやけど、ここは「西櫓跡」
引田城跡現地説明会引田城跡現地説明会

石垣の積み方は、大きな石の隙間に間詰め石を用いる古い積み方で
天正時代=安土桃山時代(1573年から1592年)に
作られたんじゃないかっていわれてるん。

景色がすごいよかった。
引田城跡現地説明会引田城跡現地説明会
この後、いよいよ「本丸」に向かうん。

ここがそうやってーー。
引田城跡現地説明会
ちょうど頂上でこんなプレートもあった。
引田城跡現地説明会
そこからさらに進むと、引田湾が一望できる場所に。
引田城跡現地説明会

すごいきれいやろーー
引田城跡現地説明会引田城跡現地説明会引田城跡現地説明会
そして最後にいったのは、「化粧池」
引田城のお姫様や女中たちがこの池の水を使って化粧していたと伝えられ、人口の溜池、水源地やったんやってー。
引田城跡現地説明会

ここにも、石垣がみえよるよ。
引田城跡現地説明会

そして解散〜

この引田城の始まりは、応仁年間(1467〜69)寒川氏が治めており、
永正五年(1508)からは阿波三好氏とたびたび攻防があり、
天正十年には長宗我部元親の讃岐侵攻もあり、城主も何度も変わりよったみたい。

ほんで、天正十五年(1587)生駒親正が讃岐国を治めることになり、
播磨国赤穂から引田城に入城したって言われるらしいん。

室町時代、引田港は、重要な海路で鳴門海峡を渡るための潮待ち・風待ち港やったん。

ほんでな、この引田城の立派な石垣は、生駒時代の讃岐国で最も古い近世的な城郭で、それが100メートルに及ぶ長大な石垣を一直線に築くっていう、讃岐国ではこれまで見られなかった当時の最高の技術を用いた城やったんやって。

今まで、知らなかったけど、いろいろ勉強になった
1日でした^^

2014.3.9

ラベル:城跡 東かがわ市
posted by まちぐる at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 取材日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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