善通寺市には、大きいもの小さいものあわせて
400もの古墳が
あるらしいんw
子供の頃、少し巡った記憶はあるんだけど
改めて巡ってみたよー。
まずは、
「宮が尾古墳」これは、国指定史跡の有岡古墳群の1つ。
同じ系統の首長墓とされとる古墳が集まりで、
3世紀から6世紀にかけて作られたもの。
宮が尾古墳、野田院(のだいん)古墳、
王墓山(おうはかやま)古墳、
磨臼山(すりうすやま)古墳、
鶴が峰4号墳・丸山古墳の6つの古墳をあわせて
そう呼ぶらしい。
この中で、宮が尾古墳だけが円墳なんや。
全長約9メートル!ってめちゃでかいー
善通寺町にあるんやけど、標識もでとるよー。
ちょうど雪が降った日の翌日やったけん、まだ雪が残ってるw
この古墳は、6世紀後半のもので、
両袖式横穴式石室には線刻壁画が残っとんやって〜
羨道(せんどう)に武人像、玄室奥壁に人物群、
騎馬人物、船団などが刻まれとって、
瀬戸内海沿岸部で最も優れた装飾古墳といわれとるん。
これを調査していたときに見つかったのが、
「宮が尾2号墳」4月29日の古墳の日には中が公開されるみたいw
2番目に向かったのは、同じ道沿いにある
「王墓山古墳」。
6世紀半ばに造られたとされるこの古墳は、
全長46mの前方後円墳。
小高い丘の上にあって、
善通寺の五重塔も見えるんw
横穴式石室があって、石室からは須恵器などの土器類、
首飾りなどの装飾品、武具・馬具類、
大和政権が配下に入った地方豪族に渡したという
金銅製冠帽(こんどうせいかんぼう)や
銀象嵌(ぎんぞうがん)を施した鉄刀が出土しとるんやって。
中、のぞいてみたーー
こうやってみたら、象の背中みたい♪
ここも、4月29日の古墳の日には中が公開されるみたいw
3番目は、
「青龍古墳」。
これは、善通寺市の指定史跡。
「鷺井神社」の境内の裏手にあるん。
この神社は、昔は青龍明神や青龍大権現と呼ばれとって、
弘法大師が唐から戻ってこられた後に
創られたお寺が始まりと言われとるらしい。
この神社のの100mほど東に「鷺井」と呼ばれる泉の跡があって、
伝説によると、平安時代の仁寿元(851)年、
片羽が傷ついた青い鷺がこの地に降り立って、
3日3晩の間、傷を癒して飛び立った後に湧き出したとも、
3日3晩の間、雨が降った後に湧き出したとも言われてとんやってー。
弘法大師の勧めで、唐の青龍寺の青鷺泉にあやかって
「鷺井の泉」と名付けられたん。
ほんでな、戦国時代には、領主香川信景の子・頼景が
この水で眼病を治したことから、多くの人の信仰を集めたんやけど、
残念ながら現在は埋まってしまい、水が出なくなっとるんやってー。
そんな伝説がいろいろとある神社の拝殿のわき道を
入っていくと、古墳があるんやw
調査当初は、前方後円墳って言われてたけど、
1993年の調査で、5世紀後半に作られた円墳って
判明したんやって。
全長78メートルっていう大きさなん。
写真で納まりきらずに、分かりにくいです><
古墳の北側に自生しとる葦は、
葉が片側ばかりにつく「片葉の葦(あし)」で、
すごい珍しいんやってーー
青い鷺が龍に乗って止まった形から名づけられたという伝説もあるみたい。
4番目に向かったのは
「大塚池古墳」これは、大塚池の中にあるんw
このあたりを治めていた豪族の首長のお墓だといわれとって、
6世紀〜7世紀の頭にかけて造られたって想定されとるみたい。
全長12メートルの円墳で、
石室が露出されとる。
この古墳はな、
「吉原椀貸塚」って、別の呼び名があるん。
昔の家は家に、人数分だけの器しかなかったけん、
人が多く集まり炊飯をする時には食器が足りんやろ?
そこでこの塚にお願いすると、次の日には準備してくれていたって
伝説があるんやってーー。
まだまだ、古墳はあるみたいやから
また巡ってみよう♪
2014/2/9