まず向かったのは「日枝(ひえ)神社」
かなり迷ったけど、無事到着!
昔、弘法大師空海上人が七種の宝を峰々に埋めたと
伝えられとる七宝山のトンネル出口を出て
山の中腹にあった。
ここは、3月末に百々手(ももて)神事が行われるんやって。
秋には秋祭り−。
迷って時間をとったので、お昼ご飯にいこうかなーと思ったら
きれいな砂浜が目に入ってきたー。
「ちょっと、ここ寄ろう」
と、立ち寄ったのが「父母ヶ浜海岸」
この名前にも由来があるんやって。
昔、いなくなった子供を捜していた夫婦が峠で賊に襲われたん。
その時、身代わりに首を落とされたのは捜していた子供で、
その後お地蔵さんになってたんやって・・・・
このお地蔵さんは今もあるみたい。
遠浅の砂浜がある海水浴場。
「クリーン作戦せないかんなーー」
と母親がいよったけど、悲しいことにゴミが><
砂浜には、いろんな貝殻があったよ。
波が通った後かな?
すごくきれいやった。
「これみてん!!!」
よく見ると、やどかりがいっぱい♪
「いろんな足跡があるーーー」
鳥、犬、人間って、見てて楽しいね。
「夕焼けがきれいなんやろうなーー」
そうなん、日本の夕陽百選に選ばれとるらしいん。
また見にきたい!
お昼ごはん食べた後は、お散歩しようと
三豊市観光協会さんの
「お徒歩(かち)でいく 仁尾なつかし味めぐり」マップをもって
うろうろ^^
まず1番目、仁尾酢の「中橋造酢さん」
香川県の酢の醸造は、寛保元年(1741)、
ここ三豊市仁尾町において 田野屋 中橋仁右衛門が、
米酢製造を始めたのが最初だと言われとるみたい。
2番目に向かったんは、「古い防火用水」
昔は、家が密集していたため、多く設置されとったんやって。
歩いているとあちこちに、蝋梅が咲いててきれいやったー
3番目は「吉祥院」
木像仁王像がお出迎え〜
仁尾町指定有形文化財。
写真ではうまくとれなかった。。。
境内には、立派な木があったー。
樹齢400年の「万寿柏(まんじゅはく)」やって。
4番目は、「覚城院」。
順番に行くつもりが、迷ってたどり着いた順ww
ここは、戦国時代に細川頼弘の仁尾城跡があったって
いわれてるんw
ちょうど行った日は、工事?しよったけど、
石垣がきれいやなーって思ったんw
これも仁尾町指定有形文化財の「鐘楼」
これが本堂ですー
中には木像千手観音立像がいらして、
これは香川県の指定有形文化財だって。
木像毘沙門天立像は、仁尾町指定有形文化財!
5番目は、「金光寺」
ここには、細川家の菩提寺で、細川頼弘公のお墓があるみたい。
町歩きよると、あちこちにあるこういう板。
なつかしいなーー(*^_^*)
6番目は、「常徳寺」
禅宗様式の円通殿が、国の有形文化財なんやって!!
室町初期に建てられたもので四国唯一らしいんφ(..)メモメモ
香川県指定有形文化財の絹本著色八相涅槃図もあるみたい。
釣鐘があったーー
7番目は、仁尾酢の「田尾屋」さん。
杉樽にこだわってお酢を作り続けていて、江戸中期創業って。
讃岐では一番古い米酢醸造所ー。
8番目は、仁尾の塩田の創業者塩田氏のお屋敷「塩田邸」
立派やなーー。
写真じゃ全景がみえないけど、かんなり広いよ(゜o゜)
節穴から覗いてみてって書いてたので
覗いてみました〜
そして9番目は、「賀茂神社」
京都の賀茂神社から白河天皇の許可を得て
津田島(今の蔦島)に分祀され、
室町時代初期の正平5年(1350)細川顕氏が
津田島から現在の地に移転した神社らしいん。
石の鳥居?がすごいんや!
注連石(しめいし)って言うんやけど、
詫間町鴨の越の入江にあって、漁船の通行の邪魔となり
大変困っていた。
それを聞いた河田安右衛門氏神社の氏子年寄は相談して、
塩田忠左衛門氏と石匠木下熊吉に協力をたのんだん。
ほんで、秋晴れの大潮の日、多くの樽を用意した氏子、
年寄総出の奉仕で宮浜まで運びここに、建立したんやって。
よーくみたら、カキの貝殻がついとるん。
拝殿です。
ここは香川県指定無形文化財の「長床神事」が
行われる場所でもあるん。
境内で出会った、狛犬さん^m^
10番目は、「高燈籠」
加茂神社の芝居小屋の有った所の角に、石の台座にのって
木造二層本瓦ぶきの建物。
昭和12年(1037年)建立。
当時加茂神社は、港のすぐ横にあって、港の燈台の役目を
しとったらしいん。
11番目は「金比羅燈籠」
これは平成2年に再建されたんやけど、
もともとは、江戸時代中期からあったんw
なんか気になる町並みーー
最後は「永徳屋」
江戸時代からしている薬屋さんなんやってー。
古い町並みがあちこちに残ってて風情のある街やったよ。
2014/1/24